ぼくんち

西原理恵子の「ぼくんち」という漫画を読んだ。出版社に務める友人が勧めてくれた作品だ。

極貧街に暮らす二人の少年とその家族や隣人らを描いた作品と言えばいいのだと思う。

 

中途半端に血のつながった家族。中心人物である兄弟。体を売って弟を養う姉。登場する人物の殆どが酒、薬、暴力、色情の何かしらにまみれていた。

 

西原氏独特のあのタッチで、1話2ページのショートストーリーがただただ続く。そして、「生きる」「幸せ」という人間の根源とも言うべき命題を剛速球でぶつけてきて、読者に考えさせるのだ。

中途半端に血のつながった家族。中心人物である兄弟。色を売って弟を養うことに生き甲斐を感じる姉。登場する人物みな貧困で、酒、薬、暴力、色欲のどれかしらにまみれていた。

 

彼らはなぜ生きているのか。幸せとは何なのか…考え出すと止まらなかった。そして答えなんか出るはずもなかった。正直、この作品の評価や感想をうまく言葉にすることができない。

 

ただ、以前読んだ山本周五郎の「季節のない街」という小説になんだか似ている、ということは感じた。

雰囲気はもちろん違うが、貧民街に暮らす人々のさまざまな生を描いた作品という点が共通していて、やっぱり、人間の生き方について考えさせてくるような作品である。ドラマチック性はなく、むしろ人間の惨めさまでもをリアルに描いてみせている。

 

それから、その作品を読んでいて印象に残った台詞がある。細部は違うがこういった趣旨だ。

「『好き』って言っとかないと、肝心なときに出てこなくなる」。

自分に向けられた言葉のように思った。俺は好きな人に好きと言ったことがほとんどない。付き合いが長くなればなるほど、言えない。毎日は難しいと思うけど、ちゃんと言ってあげよう、言ってあげたいと心から思った。

 

自分の幸福についても考えさせられた。金はそれなりにもらえるが余暇が極端に少ない今の仕事を続けていて幸せになれるのか、誰かを幸せにしてあげられるのか。今のままでは無理なのではないか、そういう方向に心が揺れ動いているのを自分でも感じた。

 

そして、友人がなぜこの作品を俺に勧めたのか。

1ヶ月ほど前だったと思うが、夜遅くに呼び出して酒を飲みながら彼女のことについてかなり管を巻いた。当時別れ話が持ち上がっていて、それがどうしても嫌だ、といったことを酔っ払いながらのたまっていたときに、ふと勧めてくれたのだったと記憶している。

彼はどんなことを考えてこの作品を読んだだろうか。次に会ったら、聞いてみたいと思う。

やめたわけではないけれど

前日に酒と煙草を摂取しすぎたから今日ぐらいは自重しようと思ったらなぜかそのまま風邪を引いた日曜日。以来、本日木曜日まで全く酒と煙草を口にしていない。

 

まあ一度やめてしまえばある程度は続くもので、秋ごろだったと思うが前回風邪を引いた時は1カ月ぐらい普通に治らなかった。煙草をネオシーダーに変えたものの酒を飲み続けていたせいではないかという思料が今回につながっているような気もする。

 

つまり酒を体内で分解するにはそれなりの消耗が伴うのであって、体力回復に全力を注ぐべき風邪の時には治りを遅らせる要因になるのではないか(あくまで素人の予測です)と。

 

目指すべくは「もとの生活に戻りつつ酒量を減らし健康的な生活を心掛ける」ってことですかね。これからも飲み続けたいからこそ今気をつける。

風邪引いた

苦心して酒を抜いた結果(というわけでもないけど)風邪を引いた。実際には日曜昼から喉や鼻の調子がおかしく、掃除で出たハウスダストか何かに反応してんじゃないかとも思ったが過去にアレルギーなど起こしたこともなく朝を迎えて風邪を引いたことを正式に(?)知った。

 

今冬はこれまで無縁だった加湿器を導入するこれ迄にない風邪対策を施していただけに実に遺憾である。

 

仕事の途中で熱が出たのか悪寒はするし喉や鼻の調子は一向に良くならないしで最悪だった。職場にあったペラックとかいう適当な風邪薬で誤魔化している。風邪薬なんか根治するためのものじゃないし症状が重い時ほど医者が出す薬も大して効かないことは分かってるので医者には頼らず治そうと思う。

 

具体的にはしっかり飯を食い(今夜は大阪王将の餃子と炒飯だった。これでいいのかはよく分からないが栄養価はそれなりにあるだろう)ぬるめの風呂に長めに入り、部屋を温めて加湿してマスクを着用して寝る。これ以外にできることなどない。マスクをして寝るのは熟睡を阻害しかねない気もするが、喉を守ることを優先に考えたい。

 

今日は酒も煙草も全く欲しくならなかった。

休肝日

なぜ今日1日飲まずにいようと思ったかというと、昨日飲みすぎたというのもあるだが、「飲まないと決めたら飲まない」ということがちゃんと実行できるという自己認識をはっきり持ちたかったから、ということになるだろうか。

 

加えて、昨日医師から高血圧の治療を勧められ、これまで以上に自分の健康について真剣に考えなければならないと思わされた、というのもある。

 

長く治療している高尿酸血症も含め、生活習慣の乱れはすなわち飲酒であるということは自覚しており(私は喫煙もするがその量は一般的な喫煙者と同等かそれより少ない程度だと思う)、なんとかしないとなーという気持ちもあるにはある。

 

ともあれ今日1日酒を抜いてみた。すると夕食後、かなり激しい飲酒欲求に襲われた。気付けば酒を飲んでいる自分を思い出したりもしていた。風呂に入ったらそういう気持ちは薄れたのだが、激しい欲求を感じた時間が少なく見積もっても1時間はあった。

 

これはかなり問題だと思う。酒が好きで、これからも飲んでいきたいからこそ、控えるべき時には控えなければいけないのだと強く感じる。

 

どれぐらい飲まずにいられるか試す意味で、当分やめてみようかとも考えている。問題は酒をやめる意味が分からなくなってしまわないかどうか。「なんのためにやめてるのかよく分からないから飲んじゃえ」的発想。というかそうならない自信がない。

 

酒を飲まないことが自分にとって何を意味するか、よく考えながら過ごしたいと思う。